2006年05月22日

体内記憶

私がお母さんのおなかの中にいたころ、こんなことがありました…。

子宮の中ってのは、通常胎児にとっては、もっとも安全で安心できる場所だそうです。でも、そこに、母親の悲しみや不安、または母親が父親とけんかしているこえなどが、入ってくると、子供は「自分は生まれてきていいのだろうか?」と、自分の存在に不安を感じることがあります。なぜなら、胎児は、すでに一人前の感覚を持っているため、外の世界でおきていることを、聞いているからです。たとえば、自分は女なのに、両親や両親の身近な人たちが「男だったらいいね」などと期待をしていると、胎児にとっては決してかなえて上げられない期待をかけられていることに、怒りや絶望を感じたりします。その底には「私が女でごめんなさい」という、自分の存在への罪悪感があるわけです。

私がお母さんのおなかのなかにいたころ、お母さんはとても不安に思う何かがあったらしく、その不安を全身で感じた私は、その気持ちがうけとめられなくなりました。(大人になってからきくと、我が家には一族を信仰的に束ねている大叔母がいて、彼女から「絶対なくしてはいけない。」といわれたお守りを、私を身ごもったころ、誤ってトイレに流してしまったのだそうです。もう、自分もおなかの子供もともに死ぬのではないか、というような強烈な不安がこみ上げてきたらしいです。これも、いっしゅのマインド・コントロールなんでしょうね。お守りの一つや二つ、なくしたってどうにかなるものではないのに、そう信じ込んだのですから、あんまり正常な判断とはいえないもんね。)上下右左の感覚がなくなり、真っ暗な中で自分が半狂乱になるのが分かりました。そして、あるとき、「もうこれ以上、何も感じたくない」と思いました。それから、私の体の動きはゆっくりととまり、望みどおり、何も感じないままの私が出来上がりました。ふと気がつくと、意識が体内から抜けて、私はお母さんのおなかの外で自分の体をみているようになりました。

あぁ、このまま楽になっていけるのだなと、安堵感を感じました。(病院のドクターは、母に「この子は、流産しかけています。おそらく、もうだめですから、摘出手術しましょうね」と、宣告したそうです。そのドクターの言葉、私は具体的な記憶には残っていませんが、おそらくそれを聞いた安堵感だったのだろうと思います。)

あと、この出来事がなぜ、流産しかかるところまで大事になってしまったのかというと、おなかに入って2ヶ月のころに、私の父が「男でも女でも、どっちでもいい」と母に言ったのだそうです。あるチャネラーさんが、そこを指摘してくれました。お父さんは、「健康に生まれてくれるように。性別はどちらでもかまわないよ」という意味合いだったようですが、ウチの父は、どこかテレ屋で、優しさをとてもランボーに表現することがあるんですね。おそらく、人が聞いたら喧嘩うってんのか?ぐらいの乱暴な言い方をしたのではないかしら?というわけで、どうも「自分はどうでもいい存在なんだ」と、勘違いしたらしいんです。このあたりの、衝撃は勘違いだと教えてもらった今でも、思い出せないから、まだ受け止めきれないくらいショックだったのだろうなぁと思います。おなかに子供が宿ってくれたとき、みなさん、「言葉」、気をつけてくださいね。愛に満ちた言葉を意識したらいいのじゃないかと思います。胎児は、全部聞いています。

(そして、逆に胎児はすべて分かっている。(まるで、天使のように!)という、とんでもない誤解をしている方も精神世界には、よくいらっしゃいますが、勘違いです。おなかにやどったときから、人は全くの人間です。特別な天使のような人間ではないのですよ!この子も、なんらかのカルマの昇華をし、夢をかなえに3次元に降りてきた来た、あなたと同じ、欠点だらけの人間なんです!子供を必要以上に神聖視しちゃだめだよ!)

というわけで、そのままあの世に帰れるかなぁと思ったときに、どんでん返しが起こりました。例の一族の長的、大叔母が私が自殺しかけていることに気がついたのでした。「この子は、死にません」とドクターを説得し、摘出手術を拒否、母を退院させて自分の家に連れて帰りました。そこで、彼女がやったことは、たった一つ。毎日、私に「生きろ。生きろ」と、想いを送っただけです。でも、きっと命がけで送っていたはず。はじめは、遠くのほうで、他人事のように聞いていた私でしたが、やがてその思いがココロに触れ、「もう一度、生きてみようかな」と、ふと思いました。


やがて、その想いは、「もう一度生きたい」という私自身の強烈な願望に変わり、私は、お母さんのおなかのなかに意識を戻しました。もういちど、体の中に入ったカンジがありました。体とココロが一体になったからです。それからは、私は生きることしか考えていませんでした。一度、動きをとめたカラダってね、もう一度動かすのって本当にタイヘンなのです。一生懸命、指先から動かす。動け、動け、と指に命令をする。何度も何度もトライして、あるとき、本当に指が動きました。「やった~」と思い、それから次次といろいろな場所を動かし、体が自由に動くようになりました。そして、私は、出産のときを迎えました。出産するときは、胎児も苦しいってよく言うでしょう?それはね、人によります。動かなくなった指をもう一度動かすときの苦しさに比べたら、産道を通ってくるときなんて、私は、ちっとも苦しくなかたのだもの。いよいよ生まれるのだとワクワクして、顔をあげたら、そこはもう外の世界だったのよ。

実際に、母は私を産む直前まで、大しておなかもいたくならず、ドクターから、「こんなにスタスタあるけるなら、出産はまだずっと後だ」といわれて、一度家に帰るよう、指示されたのだそうですが、またしても大叔母が「この子は、今日生まれると言っているから、まず診察してください」とドクターに無理やりたのみ、(たぶん)しょうがなく診察したら、ドクターは、もうビックリした声で、「生まれるぞ、顔が出てる!」と、急いで看護婦さんたちに指示をだしていたらしい。と、母が小さいとき私に話してくれた。

というわけで、私は、たった15分でこの世に生まれてきました。そのときの私は、自然が、木や空気や空や海が、私を祝福しているのを知っていたから、大きな安らぎと信頼の中、この新しい世界にやってきたのです。それが、あの日の記憶なのです。母の胸に抱かれながら、「お母さん、大丈夫よ」とず~っと想いを送っていました…。

でも、私はその後、対人恐怖症、気分変調症、そして、何年かに一度再発するうつ病に悩まされることになりました。35歳のときに、その繰り返しが過去生から持ってきた宿題だと気づいたとき、(うつ病の発祥はそのとき、すでに5回目でした。病気だと知らず、性格だと思い込んでいたから、病院にいかなかったのですが、ふと病院にいってみようと思って、そこで診察を受けて、はっきりと知ったわけなんです。12歳から、ずっとそうだったことをね。)で、本気で治す決心をし、それからたった3ヶ月で克服できました。たくさんの、人との出会いが、そして守るべき家族があったからできたことです。本当に感謝しています。

病院にいく直前、その年の夏に、私は、カラーパンクチャーという、まだ沖縄には入ってきていなかったヒーリングをうけました。知人が、そのヒーラーさんを沖縄に呼び、ちょっとしたお試しコースという感じで、そのヒーリングを受けたのでした。ヒーリングを受けながら、ふと体内記憶が頭をよぎり、「私のこれまでの人生が、胎児だったころと流れがてとも似てる気がするのですが。これは、偶然でしょうか?」と質問すると、「いいえ、あなたは胎児のころの記憶がトラウマになっているのです。繰り返しに気がつけたんですね」と言われました。そして、「変わろうと思えば、変われるのですよ」と。私が、大人になってから胎児のころの記憶を取り戻したのには、凄く意味があったことなのでした。子供のころや胎児のころに創るトラウマは、過去生からの宿題です。自分がこの人生で昇華すると決めてきたものです。だから、ハッキリと向き合うために思い出したのだと思います。思い出したのは、22歳のとき。そして、向き合うと決めたのは35歳のとき。ここに来るまで、35年かかったけれど、向き合ったら3ヶ月で消えました。本質が光である私たちが現実を「見る」という行為は、それそのものが癒しです。気づくとは、素晴らしいことです。

そして今、向き合っているもの。タロットは、11月には完治すると言ってきた。でも、本当は、9月にもチャンスがあるといっていたのです。私には、実感がわかなかったので、11月に決めたのですが、コーチングの合宿が終わった今、ひょっとしたら、9月にも完治するかもしれないと、思っています。

でね、傷を治すのは楽しいから、そこにばかり集中しがちだけれども、私たちの魂って何度も生まれ変わっているので、傷はいくらでもあるのです。だから、夢をかなえながら、日々シアワセをカンジながら、その途上に出てきた傷だけを癒すということが、大切かなぁと思います。癒すべきものも、脇においていると、調子が優れないときに、脇においといたものが出てくるんですよね。だから、なりたい自分に向かうなかで出てきたものは、向き合って癒しつつ、そこにはまらないで、視点は夢にフォーカスされていること。それが、大切かなと、今は感じています。



Posted by 詩織 at 10:00│Comments(14)
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胎内記憶【セレンディピティ通信】at 2006年06月04日 03:15
この記事へのコメント
きゃ~きゃ~きゃ~

しおりん、ステキぃぃぃぃぃ~!!

今日の言葉も、ど真ん中、まっすぐストレートに心に響きました。

今、私の周りの空気全部が、鈴の音のように輝いているよ!

詩織ちゃん、どうもありがとう。

生きてここにいるって、
ほんとうに奇跡の軌跡なんだねー♪
Posted by ゆゆのすけ at 2006年05月22日 12:16
あら~、ゆゆのすけねえさん、いらっしゃ~い!
えへへ、えへへ。
ありがとう。喜んで読んでいただいたみたいで
嬉すぃぃぃ詩織ですー。
Posted by 詩織 at 2006年05月22日 15:02
詩織さんはじめまして!

いつもとても楽しく、そして感動したり納得したり考えさせられたりしつつ読ませていただいてます♪ありがとうございます!

前回のブログで予告に書いてあり、待っていた体内記憶のブログ、とても興味深く読ませていただきました!
そうかあ、そういう記憶があるのかあ・・・と自分が子供を妊娠していた時の状態に深く反省したり、自分が胎内に居たときのことを思ってみたりしました。そして生きてるって素晴らしいと感じました!!

そして以前のブログに紹介してあった心理学講座のHPも毎日少しずつ読んでます。こちらもとても勉強になり、教えてくださったことに深く感謝です!!

これからも楽しみにしてますね♪
Posted by ひろり at 2006年05月22日 22:41
ひろりさん、はじめまして!!
来てくださり、ありがとうございます。うふ^^
これからもよろしくです♪
またコメント、いっぱいくださいね~♪
Posted by 詩織 at 2006年05月22日 22:46
涙ぽろぽろ流しながら読みました・・浄化の涙
あたいの中にもきっとある胎児の記憶・・トラウマ

時々感じてしまう居場所のなさ・・
人を信頼できず一人で頑張る癖・・

思いだした。

貧しかったから
私が生まれては困った
父は流産するように
母の手を引っ張り
公園を走った・・

あたいよりも
父や母のが辛かったかなぁ・・・

おかげさまで
独立精神旺盛な子供の出来上がり~

あぁなんか詩織さんの胎児の記憶のおかげで
あたいの中の胎児の記憶も癒されたなぁぁ
ありがとう(^。^)y-.。o○
Posted by はな at 2006年05月23日 00:47
詩織ちゃんが生まれてきてくれて、会えてよかったなあと
心から思っているくみぽんです。

私は自身の記憶はないのですが、母の話から、自分は生まれてすぐに
人生に絶望して自殺しかけたのではないかと思っているのです。
(確証はないんだけどね。)

私もあのとき死なないで、こうして人生を歩んで来られてよかった。
こうしてたくさんの素敵な人たちに会えたんだから。
Posted by くみぽん at 2006年05月23日 01:28
はなさん、よかったね^^
あたいよりも
父や母のが辛かったかなぁ・・・←そうだよ!きっとそう。
お父さんとお母さんがしんから許せるとき、人は
ものすごくシアワセになれるんだって、あたしは思ってる。
そして、そのプロセスにのったときから、シアワセは始まっているって、思っている。はなさん、ステキ…。ホントにステキな人だよ。
Posted by 詩織 at 2006年05月23日 01:32
くみぽん、いらっしゃい。
私もあのとき死なないで、こうして人生を歩んで来られてよかった。
こうしてたくさんの素敵な人たちに会えたんだから。
←うん、うん、うん。私も、私もそうだよ。本当に生きていてよかったと、今思う。父にも母にも、だんなや娘にも、多くの友人たちにも、そして、もちろん自分にも最大限に感謝しています。
これからも、よろしくね。
Posted by 詩織 at 2006年05月23日 01:36
詩織さん
すごく鮮明に胎児の頃の記憶を持っているんですね。
子どもを妊娠してから、胎児も一個の人格だと
意識するようになりましたが・・・

今回もまた、祈りや想いの大切さを詩織さんから
教わりました。
愛を込めた、祈りや想いは、ちゃんと伝わるんですね。

詩織さん、生きる決心をして生まれてきてくれてありがとう!
詩織さんのワークを楽しんで受けたり、
詩織さんと冗談いって笑いあうことができる
同じ時代。同じ場にいることに感謝です。
Posted by ルミナス at 2006年05月24日 03:59
おはようございます。ルミナスさん。
私もルミナスさんに会えて嬉しいです!
人は、みんな無意識に凄いことをしている。
その一つ一つに、どこまで意識的になれるか。気づけるか。
それが、深いシアワセを味わえるかどうかの
分かれ道なんだよね~、多分…。
Posted by 詩織 at 2006年05月24日 09:19
詩織さんへ
初めてトラックバックしてみました。
事後承諾になりますが、トラックバックしていいいでしょうか?
間違って2件入ってしまいました。
1件削除ねがいます。
Posted by ルミナス at 2006年06月04日 03:23
ルミナスさん、おはようございます。
トラックバックって、そういうものをいうのですね!
実は、以前コニーさんがやってくださったのですが
何が起きているのかイミフメイでした。

トラック・バック、どうぞ!
どんどんやっていただいて、お互いの読者(?)の方も
交流が始まるとおもしろいでしょうね!
Posted by 詩織 at 2006年06月04日 08:57
はい、そのコニーです。
以前、カウンセリングの練習で、自分の体内記憶から過去生、進化の過程をさかのぼり、宇宙の星だった頃までを思い出していくセッションをすると
詩織さんと同じように私の体もキュンと縮こまっていました。
母の様々な感情の影響を体中で感じていました。

以前から、産院で幼い姉が廊下で待たされて、ウロウロしている姿を、その頃の私は歩けるはずもないのに何故か記憶がありました。
私も体から離れていたのかしら?
その後の事は全く覚えていないのですが、色んな事が全部つながっている感覚って不思議ですね。

シェアしてくれて、ありがとう。
生まれてきてくれて、ありがとう。
いつも冗談を言って場を和ませてくれて、ありがとう。
たくさんの愛をありがとう。
Posted by 魔女コニー at 2006年08月05日 00:23
コニーさん、いらっしゃい^^

色んな事が全部つながっている感覚って不思議ですね。


はい、ホント不思議だなって思います。そして、命のスケールの大きさ、美しさを感じるのです^^(ひょっとしたらこれが魂なのかな?私は、命と魂の区別があまりつかないのだけど…)

コニーさんも、大切なハナシを私のところでシェアしてくれてありがとう。一人ひとりのシェアはお互いの心を近づけ、いっしょに上昇させてくれる宝だね^^
Posted by 詩織 at 2006年08月05日 12:44
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