2006年08月05日

さっそくやってみました、自分にOKを出す第1段!

昨日、あらためて呼吸法の瞑想(詳しい方法は、前日のブログ)をして、さっそく子供にどっか~ん汗とやっちまった私です。あぁ、まだまだ未熟者だ…ガ-ン

学童からの帰り、昨日はどういうわけかとても人通りが多く、ガードレールの内側に人ごみにまぎれて自転車がやってきた。ふと気がつくと、娘が軽くぶつかってしまった。なぜ、軽くかというと、自転車の人が先に気がついて、ブレーキ踏んだからです。おいおい、ここって自転車が走るところじゃね~だろって思ったのはあとの話。私は、娘の背中をばしっとたたいて、「どこに目つけてんのよ!怪我してからじゃ遅いんだよ!」と叫びまくったのでした。あ~あガ-ン

娘も、この世の終わりかと思うほどさめざめと泣き、(この子、ホント、泣くときって悲しそうに泣くんです。だもんで、怒っちまったあとって、とても心が痛い)ごめんなさいとかなんとか、殊勝なおももちであやまってるし…。

何度か深々と深呼吸をしてあと、気をとりなおして買い物に行きました。で、家についてから、娘ときちんとハナシをしようと、向き合いました。痛かったでしょう。ごめんね。と言ってから、ぎゅうと抱きしめて。また、え~ん汗と泣き出した娘に、「お母さん、怖いの。いつまでも、お母さんがいっしょに歩けるわけじゃないし、こうやってふらふら歩かれるのが、本当に怖いの。しっかり、前も見て、足もとも見て歩いてもらいたいの」と、シェアをしました。娘は、え~んと泣きながら、声もなくうなずきました。

いつも、叱りすぎると悲しそうに泣く娘に、ホント心が痛くて、昨日は思いきって娘にききました。「お母さんが怒ると、悲しくなるの?」と………。すると、娘は、「え?悲しくないよ。お母さんが怒ると怖いんだよ」といわれました。え?え?え?私に嫌われるような不安とか寂しさとか感じて悲しいのだろうなと、彼女の表情から察していた(つもりだった)私は、目が点になってしまいました。

怖いんかい…、怖いんだね、私が怒ると…。そうだな、怖いかも。私、声でかいし、結構太めで迫力あるだろうし…。本人の心のうちがいくら繊細だからって、見た目や声のでかさが変わるわけじゃないし…。そうか、怖いのか…と、アタマの中で、ぐるぐると思いをめぐらせているワタクシでした…。気をつけよ…。

で、私もず~っと昔の子供のころのこと。思い出しました。今でこそ、孫を目に入れてもいたくないほどかわいがる優しい実家の母。私が小さいころは、やっぱヒステリックに感情を込め(過ぎて)私を叱るのが、なんともストレスだった。今でも、時々、とがめられるような口調で名前を呼ばれるだけで、嫌な気がするのです。私、お母さんのまねをして、当時の彼女の心境を経験していたのかも…、あぁ、ここでも鏡の法則だと思いました…。

で、自分にOKが出たときの感覚は?ということになるのですが、無論、道歩いていて、前をきちんとみない娘のそんなところは、直してもらわねばなりません。が、もし、私が自分にOK出していたら、あんなに、非難の感情は混じらないだろうと思うのです。非難の感情は、浴び続ければ自己否定の原因になるのです。どんなに愛情深く大切に育てても、言外の非難を浴び続ければ、やはり子供は自己否定を始めます。娘は、「○も、愚図なところ直したいんだよ」と昨日泣かれました。もし、私が私に完璧にOKだったなら、「愚図を直したい」と思う前に、どの自分にもOKで、その上で自分の身の安全のために、「車に気をつけよ」って、軽い感覚で決めることができて、そしてさっと変われる(だろうと思う)。私の中にある、「こうあらねばならぬ」の枠を感じた一件でした。

今日は、関野氏の「なぜあの人に話しが通じないか」(総合法令)の中のワークをやりました。全部で、2週間で終わります。今日は、「自分の魅力を上げてみる」と、「大好きな人(周りのだれかでも、芸能人でも)をあげる」「その人のどんなところが好きが具体的にあげる」というのと、自分の過去の体験の中から、自分に関して素晴らしいと思えることをリストアップしていくというのをやりました。過去の実際の体験を思い出しながら、誰かを助けた経験であれば、それを思い出しながら、「私って優しいんだな」とか、大学に受かった経験を思い出しながら「やると決めたことは、必ずやるんだな」とかって具合に、自分の素晴らしいと思えるところを、具体的な体験の中で思い出し、その素晴らしさを「優しい」とか「芯が強い」とかって抽象化して口に出すのです。それは、いつでも優しくある必要はないし、芯が強い必要はなく、一回でも過去でその体験があれば、それを書き出して、上記のように抽象化して口に出して自分を褒めます。やってみればわかりますが、すごくキモチがいいです。だいたい、30から40個出てくれば優秀だそう。よかったら、やってみてください。そうそう、このワークをやる前に、前日ご紹介した深呼吸を数回やってから取り掛かるといいそうです。

父への手紙も、昨日の夜書きました。父と母の選択した人生がちがった角度からみれて、私の中で許しが起きました。彼らをおきざりにしたまま、私だけどんどん幸せになっていく罪悪感があったことに気付きました。でも、手紙を書いてみて、両親の選んだ人生の選択が見えました。私は、もう罪悪感を完了して自分の人生を歩みます。明日からお盆です。ご先祖様への感謝をささげるこの時期から、自分にOKを出すというこのようなワークを始めたことも、意味があるのかもしれません。では、今日はこの辺で…。


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Posted by 詩織 at 13:46│Comments(0)コーチング
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